先日、岐阜市で開催された「岐阜防災シンポジウム」に参加しました。
テーマは 「防災・減災岐阜モデル構築に向けて」。
防災月間にあわせて開かれた今回の催しには約300人が集まり、南海トラフ地震への備えや、地域や企業での防災の取り組みについて考え合う機会となりました。
基調講演では、名古屋大学名誉教授で「あいち・なごや強靭化共創センター」センター長の福和伸夫先生が登壇。「必ず来る南海トラフ地震で日本を終わらせないために」と題して、歴史の事例や最新の知見を交えた力強いメッセージを発信されました。
南海トラフ地震の想定被害と歴史の転換点
講演の中で印象的だったのは、南海トラフ地震が発生した場合の被害想定です。
被災者はおよそ6000万人とのお話しでした。これは日本の人口を1億2000万人とすると、国民の半分が被災する計算になります。
その規模を考えると、救助や支援の手が十分に行き届かないことは明らかです。
だからこそ「どれだけ平時に備えられるか」が、被害を左右します。
さらに先生は「歴史の節目には必ず災害がある」と指摘されました。
例えば、安土桃山時代から江戸幕府成立にかけては、大地震や戦乱が連続して起きています。
近代でも、関東大震災や東日本大震災は、その後の社会や政治の大きな変化を引き起こしました。災害は単なる自然現象ではなく、社会の形を変える“転換点”になり得るという視点は大変示唆的でした。
つまり、南海トラフ地震は「過去の一災害」ではなく、未来の社会を決定づける試練として受け止める必要があります。

「事前の一策は事後の百策に勝る」
古くから「事前の一策は事後の百策に勝る」ということわざがあります。
福和先生も「災害への備えは発災前にすべて決まる」と強調されていました。
つまり、地震が起きてから慌てて対応しても遅く、日常の中で備えを積み重ねておくことが何より大切です。
その備えには、個人の家庭での備蓄はもちろん、地域や行政、企業が連携した取り組みが欠かせません。
シンポジウム後半のパネルディスカッションでは、実際に「水の確保方法」「ローリングストックの工夫」「模擬避難生活から見えた課題」など、現実的で役立つ事例が紹介されました。
羽島市における地域防災の課題
羽島市に置き換えて考えると、特に転入者が多い地域では「まずは顔見知りになること」が重要です。
知らない人ばかりの環境では、いざというとき助け合うことは難しいからです。
地域行事や交流の場を通じて横のつながりをつくり、その延長線上で防災訓練や情報共有をしていく。
これこそが地域防災力を高める第一歩になると感じました。
また、災害時には行政の人員にも限界があります。
だからこそ「共助」を前提にした仕組みづくりが必要です。
地域の中で役割を分担し、日常から小さな訓練や声かけを積み重ねていくことが、発災時の混乱を最小限に抑える力になるはずです。
行政・企業のBCPとインフラ復旧
企業が災害に備えてBCP(事業継続計画)を策定しているように、行政にもBCPが不可欠です。
道路や電気、水道などのインフラが途絶した場合、どの順番で復旧させるのか、職員体制をどう維持するのかをあらかじめ計画しておくことが、市民の安心と直結します。
パネルディスカッションでは「防災は非常食ではなく“備え食”を」という発想も紹介されました。
普段から食べ慣れた食品をローリングストックし、災害時にも日常に近い食生活を維持できる工夫です。
電気や水が使えなくても作れるレシピや、栄養バランスを考えた備蓄など、実践的な工夫が共有されました。

所感
今回のシンポジウムを通じて、改めて「自分の命は自分で守る」という意識の大切さを実感しました。
そして、個人・地域・行政・企業がそれぞれの立場で役割を果たし、互いに連携していくことが、防災力を高める鍵だと確信しました。
南海トラフ地震は、単なる自然災害ではなく、日本の未来を大きく左右する歴史の転換点になるかもしれません。
だからこそ、いま私たちがどれだけ準備できるかが問われています。
羽島市においても、地域の横のつながりを強め、減災の仕組みを整えることで、次世代に安心して暮らせるまちを引き継いでいきたいと思います。
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